塾長の我が懐メロ考

まえがき 日本の流行歌の黎明期

古くから演歌壮士「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれてきたように、歌は時代の世情をありのままに映し出す鏡のようなものです。そしてまた、その歌の流行が世の中にもさまざまな影響を与えます。つまり、歌の歴史を語ることはそのまま我が国の世相史、ひいては自分史までもをひもとくことにつながっていきます。懐メロを耳にしたとたん、その時代の自らの記憶がよみがえってくるのもそのあらわれです。

さて話変わって、川上音二郎近代日本における庶民の娯楽としての「流行歌・歌謡曲」は、古来、口伝えのみに頼っていた歌そのものが、明治以降の西洋音楽やレコード技術の移入、さらには大正時代から昭和初期にかけての大衆文化の発達によって革命的な第一歩を踏み出します。そして、録音再生技術の定着に加え、大正末年のラジオ放送の開始という新しいメディアの登場により、さらなる飛躍を遂げることとなります。

大正期、中山晋平が西洋音楽の技法でつくった「カチューシャの唄」や、蓄音器「ゴンドラの唄」などの新鮮な洋風の旋律が日本人の心情をメロディー化したものとして世に受け入れられます。また、同じ中山晋平によるヨナ抜き短音階で作られた「船頭小唄」は昭和演歌のルーツともなり、これらの歌は、巷間、バイオリンやアコーディオンを手に流し歩く演歌師(書生・壮士)たちが「流行り唄」として歌い広めていきました。

やがて、昭和3年(1928)の日本コロムビア、日本ビクターなどの外資系レコード産業の成立により、マイクロフォンを使用した電気吹込みによるレコード歌謡が誕生。以降、明治大正期の「壮士節」や「書生節」などの「流行り唄」とは趣を異にした、レコード会社の企画・製作および宣伝によって大衆に選択させるという「流行歌・歌謡曲」の仕組みが確立し、息の長い絢爛たる「昭和歌謡」の時代へと発展していきます。

(つづく)